この記事のみを表示するお母さん、この世に私を産んでくれて、ありがとうございました。

わたしの大事なひとたち

新年、初めての投稿。
みなさん、いかがお過ごしでしたか?



今日は、亡き母の誕生日です。
ちょっと母のことをいろいろ思い出しました。

ほんの20年ほど前。
私が保育の仕事をはじめてから毎年、誕生日には孫たちを連れて
プレゼントと手紙を用意して実家にでかけました。
帰るときにはいつも来た時よりもたくさんのお土産つき。

母は体が弱かったので孫たちと体を使って遊ぶのは苦手。
けれど、可愛がりたい気持ちはいっぱいあって、
それがお土産になっていたのだと思います。

でも当時はそのお土産が余計なお世話だと思っていました。
お菓子いっぱいにガチャポンやらカードやらゲームやら・・・。
親としては子どもたちに与えたくないものばかりで、よく突き返していました。
(なんと可愛げのない私・・・。)
今になって考えれば、
それも祖母から孫たちへの気持ちと、受け取ってあげればよかったな〜。

それよりもず〜っと昔。
看護婦をしていたころは、よく長女の保育園のお迎えをしてくれました。
また、長女が熱を出してしまって私が夜勤のときなども、
いつも子守に来てくれました。
長女はおばあちゃんが来ると本当に甘えん坊さんでした。
・・・私、母をこき使うだけ、こき使っていたな〜。
いくら私が悪態をついても、口喧嘩になっても、
困ったときには電話一本すれば私を助けにきてくれました。

もっと昔
わたしが寮生活をはじめたころ。
月一回母親と夜外食をしに町に出かけて行きました。
今まであまり外食なんてしたことがなかった母が
とても喜んでくれたのが印象的です。
帰る頃には、私が悲しくっていつも終電ギリギリまで一緒にいてもらいました。
私って、甘えん坊〜。

もっともっともっと昔。
私は母の買い物についていくのが日課。
荷物持ちのお手伝いの報酬として、当時グリコキャラメルのおまけが欲しくって
毎日のようにせがんでいました。
買ってもらえるのは一週間に一度くらい。
でも、夕食のメニューの権限、半分くらいにぎっていたのかな。

も〜っと昔。
体が弱かった私はいつも母の背中におんぶされていました。
月に何度となく熱を出し、嘔吐をし、下痢をし、ご飯が食べられなくなるという
本当に厄介な子どもでした。
お医者さんで夜明かしで治療を受けたことも2〜3回。
「朝方までに薬が効かなかったら、この子はもう駄目かもしれません」
面と向かってそう、お医者さんに言われたことを覚えています。
母は必死で私の背中や手足をさすってくれ、温めてくれました。
泣く気力もなく呼吸することすらしんどくて、でもなんとか朝を迎えた時、
なんだかとても安心してやっと眠くなりました。
そして朝日のまぶしいなか、あったかな母の背中におぶわれて帰宅しました。

姉から先日言われました。
「あんた、体が弱かったからとっても大事にされたんだよ〜。うらやましかったわ。」
そうだったんですよね。
私、やっぱりとても手をかけてもらったんです。
今の私があるのは母のおかげ。(もちろん、父や姉の存在もありますが・・・)

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この頃は母のことを思い出しても悲しくないです。
私の中のたくさんの部分のひとつ一つに母がいると思えるから。
そして、また、私は娘たちの部分のひとつとして存在できるのでしょう。
そう思うと、命はつながって、広がって、たえることがないのだと、ほっこりしてきます。
父も母も亡くなってしまったけれど、つながって確かに存在している。
この生命の繋がりに感謝するとともに、大事にしたいな〜っと思った一日でした。
   
お母さん、私をこの世に産んでくれて、ありがとうございました。
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