この記事のみを表示する勇気とバランス

小さい頃のわたし

サッカーワールドカップを見ながら
このブログを書いています。
(ながら・・・なので、ちっともすすまなーい。ネタが出なーい。)

なかなか点が入りそうではいらないー。
うーん、なかなか難しい。
勝てなければ敗退(^_^;)。
どんなに努力しても、その瞬間に実力を出せなければおしまい。

本田が倒された−・・・。あーもう少し。ゴール前であと少し・・・。
なんかが足りないのだな−。サッカーのことはよくわからんけれど、
あーチャンスがー・・・。残念。

解説では何度も勇気とバランスと言われています。

岸壁に立たされてしまった時にどう行動するか・・・。
それまでの努力を活かして、そして仲間とどう連携するか・・。
さっきから日本チームはゴール前でほんとうに何度もシュートして、ボールを回して・・・。
あーまたシュート、はずれたー残念。
         よくわからないなりに、応援してしまう・・・。

一つのことに向かってこんなに一生懸命に動く姿
かつて自分にあったのかな−?

小さな頃の私は自分に自信がなくて、なんにもできなかった。

だって、矢面にたたされたらどうしたらいいかわかんないし・・・。
あの子やこの子がこわいし・・・。
あの活発な意見の言える子にまーかせた。
だって、人前で話すことも、意見をまとめることもできないもん。

自分らしさとかまったく考えたこともなくて、
お友だちのキラキラばかりを追いかけていたなー。

そんな私があるとき
職員室の前で見せしめに正座させられのです。
理由は学校の門限過ぎても教室で遊んでいたから・・・。

その日はたしか家庭訪問週間で昼前に帰宅だったのに、
なぜか、たいして仲も良くない子たちと机の上に乗って走り回っていた。

学級委員だったので、多分勉強を教えろとか先生に頼まれていたのだと思う。

勉強したかどうかは覚えてないけれど、
その子たちと思いっきり日頃の嫌なことをぶちまけていたと思う。
それで最後は机の上をかけっこしたのだ。

あまりにキャーキャー騒いでいたから、職員室から見回りの先生が来て怒られた。

その瞬間、
あーやっちゃったー。学級委員なのに・・・。という思いと、
あースッキリした−。みんな、いっしょにつるんでくれてありがとうという思いがありました。

そうかー。ちょっと軽くなればいいんだ。
苦手な人たちとの関わり方が、ちょっとわかったように思いました。

たしか、この時期、私はいじめに合っていたはず。
八方塞がりで苦しくって・・・。
けれど、後ろにもあっちにも、たくさんの人がいる。
真っ直ぐすぎる心ではなく、ちょっと斜めから、ちょっと余裕を持って・・・。

小さかったから言葉にはならなかったけれど、
感覚として学びました。

勇気とバランスなのでしょう。


あー!サッカー。一番のクライマックスです。遠藤のシュート。あーはずれた。
もうすぐ後半45分。
あー、引き分けー。
でもでも、後半のゴール前の攻防はすごかった。

これもまた、次の試合への糧になるでしょう。
ここから何を学ぶか。がんばれ日本チーム。


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この記事のみを表示するちょっと大人びた友だち

小さい頃のわたし

 最近毎日母親の病院通いです。

自宅から病院に向かう道のりはなんと、思い出いっぱい。

私の元の職場を通り、
そして通っていた小学校のわきを通り、通学路をぬけ、
小学校時代の友だちのいたアパートの向かいが病院なのです。

そこを車でとおると、なんとも言えない気分になります。
やっぱり小学校にはいい思い出がないのかな〜。

でも昨日、忘れていたことを思い出しました。

小学校時代のある友だちのことです。
現在は音信不通です。

彼女の家は喫茶店が一階で二階が住まいや。
当時、学級委員の私は、通学路と離れて休みがちだった彼女の家により、一緒に登校していたのです。
先生から頼まれてイヤイヤしていたことでした。母親も知らなかったと思います。



はじめはちっとも好きでない子でした。
運動ができて、はっきり物を言って、ちょっとクラスで笑いをとれる人気者さん。
あまりに私とちがっていて戸惑ったのです。
けれど、彼女の家庭の複雑さや、大人びた考え方にとてもひかれました。

朝は私が呼びに行くとやっと彼女は1人起きてきて、喫茶店のキッチンで調理をして食べだすのです。
それで、私もキッチンに入り込み、一緒に卵を焼いたりきゅうりを切ったり、お味噌汁をつくったり・・・。

ここではじめてコーヒーを飲みました。ミルクたっぷりにして美味しかったな。
また、ジャムトーストやあんトーストも彼女の朝ごはんから少し分けてもらい、初めて食べました。
(我が家はおばあちゃんも同居で、パンなんて食べなかったのです)
それで、私はコーヒーとあんトーストがすきなのですね。 

内緒ですが、彼女の話を聞いているのが面白くて、何日も学校を遅刻していきました。
私には不登校の子を迎えに行っているという正当な理由があるので、先生たちは何にも責めないのです。

その後も中学、高校と何かあるたびに彼女の喫茶店に訪れ、
キッチンに入ってお客さん対応しながらたくさんおしゃべしりました。
 彼女はお家の都合で高校にも行けず、ずっと自宅の喫茶店のキッチンにいました。

最後に会ったのは成人式。
彼女の彼と私と3人で近所の神社にお参りに行きとても楽しかったことを覚えています。

その後、私は看護婦として寮に入り忙しくて連絡も取らなくなりました。
しばらくして彼女の父親がなくったこと、彼女たち一家もいなくなったと聞きました。
夜逃げのようにそこにあった喫茶店はもぬけの殻になっていました。

私が高校、大学とどんどん住む世界が変わっても、
今度はわたしの話をうれしそうに聞いてくれていた彼女。
そうなのです、私は彼女だけにはつらい心の中を話せていたのです。

いまどこいにいるのかなぁー。私のことをいっぱい受け止めてくれてありがとう。

テーマ:今日のつぶやき
ジャンル:ブログ

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この記事のみを表示する病院のマイナスイメージを吹きとばせ\(^o^)/

小さい頃のわたし

 一昨夜入院した母が昨日の昼から夜に病棟を徘徊しまわり、
点滴やらオシッコの管やらも引き抜いて大変だったそうです。
今夜は大人しくしてくれるといいです。

母と病院との関係はとても長いです。
胆石発作の緊急入院からはじまり、胆嚢切除、緑内障など手術もたくさんしています。

初めての手術は私が小学校3年生の時でした。
その時は1ヶ月ほどの入院で父と毎日夜に病院に通ったのを覚えています。
その翌年も怪我で入院、これも2ヶ月ほど。
小学校から帰ると私がで洗濯機をまわして掃除機をかけて姉が夕食をつくりました。

子どもながらに、母がいない家のなかが寂しくて、
引っ込み思案がより暗い性格になったかもしれません。


小学3〜4年といえばちょうど大人の思考になる時期。
私は学校の友だちが屈託なく笑うのが無性に腹立たしかったのを覚えています。
たぶん、うちのことを回しながら学校に行くのがしんどかったのでしょう。

母が入院しているのを学校の誰もしらないのですから・・・。
先生なんて嫌い・・・とずっとそう思っていました。
学校で書かされる作文は一切書けませんでした。絵画も授業中は表現できません。
姉とも仲が悪いので、日記にだけいろいろなことを吐き出していました。
学校では喋れません。話せないのです。声が出ないのです。
友だちもほとんどいなかったのか、あまり覚えていません。


今思うと、それは精一杯の私なりのSOSだったのかもしれません。

父は仕事、姉は部活、私は1人で暗い家に帰らねばなりません。
本当に寂しかったです。

ただ、あの当時は隣近所さんがよくしてくれて、洗濯物をとりこんだり、
お買い物を行ってきてくれたり差し入れをくれたりと助かりました。


母の入院のことを思うと辛くなるのは初期の頃のこんな思いがぶら下がっていたのですね。

書いていてじぶんでもびっくり。

そして、一昨日病院に入った時に胸がぐーっとする感じに襲われました。

これはわたしがこんなに病院にマイナスイメージがあるのに
なおかつ13年間看護婦として3交代勤務をしていたことにつながっているようです。

このことはまた後日に。

さて、どよーんの時はまなゆいタイム♪

暗い病院のイメージをもっていた私を受け入れ、認め、許し、愛しています。

…もうそれは過去のこと、大丈夫、ちゃんと整理を付けれているよ…
と思っている私を受け入れ、認め、許し、愛して新しく歩みだしています。

あなたはよく働いたよ、あたらしく病院との関係は結べているよ、大丈夫。という心の声がでてきました。

そういった自分でいると、母の今回の入院も新しい風がふき、家族みんなが笑顔になります。

うんそうだ、みんなしあわせになるよ。

テーマ:なんとなく書きたいこと。。
ジャンル:日記

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